久しぶりに
私自身のことを書こうと思います。
昨日は夫と
和歌山県にある
熊野大社に行って参りました。
ちょっと地図を確認したらわかるけど
和歌山県というのは
大阪から近いようで
とっても遠い県です。
なぜなら
その多くが山に囲まれており
しかも
紀伊半島の内陸部の道路は
間違っても整備されているとは言い難い
しんどい山道がとても多いからです。
山だらけ。
山だらけな上に
国道はところどころ
整備されていない非常に脆弱で細い道で
よくぞこのような場所に
住まわれているな(買い物、どうするんだ?)と驚くような場所が
少なくありません。
(バカにしていることではありません。私が生まれた場所もたいがいそんなところでした。純粋に感じたことです。)
しかも
私が行った場所はこちら⬇︎
およそ紀伊半島の中心をぶった切り
山の中を突き進み
そしてその後、右下の熊野速玉大社(海側)まで抜けて
紀伊半島をぐるっと海沿いを通って
帰って来たのです。
それはそれは
すごい走行距離でしたね。
朝6時には家を出ましたが
帰ってきたのは
夜8時を回っていました。
(その間ずっと夫が運転しました。)
なぜ私が
今日のブログを書こうか?と思ったのは
私自身が
人生の行き詰まりを感じていて
いや
その行き詰まりが
不幸の行き詰まりではなく
幸福感の行き詰まり
を感じていたから。
なんのことか
さっぱりわからないよね?
だから
そのことをブログで久しぶりに
自分のこととして表現してみたくなったのです。
きっとこれを読んで
私と同じ状況におちいり
それによって(これを読むことによって)
気がつく人も大勢いるのではないか?
そう思います。
実はわたし
最近は人生が非常に穏やかで
幸せしか感じていませんでした。
体は健康であり
どこも痛いところもなく
収入はあり
何不自由なく生活していける。
大好きだと思える人と結婚して
今では特別ケンカすることもほとんどなく
日々が非常に穏やかである。
子供達は元気で
それぞれの場所で頑張っている。
さてみなさん
これ以上の幸せなことがあるでしょうか?
私は本当に自分が恵まれていて
幸せであることにはなんの疑問もありません。
本当にそう感じています。
だけど
何かが違う・・・
何かが違うよ。
このままでいいの?
私の心のどこか?が
そう小さく訴えるのを感じるのです。
確かに日々幸せで
なんの不満もなくて
文句のつけようがない人生を送れているけど
私はこれでいいのだろうか?
そう聞こえる自分の心の声。
そして私は思ったのです。
全て満足であると
思おうとしている自分がいるのではないか?
そうなのです。
幸せなのには変わらないけど
このままがいい、というのとは違うのです。
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そして私は気がつきました。
どうやって気がつくのか?というと
私には多くのクライアントさんがいます。
そのクライアントさんが
答えを持っていらっしゃることが
とても多いのです。
特に言いたいことなんてないんです
何がほしいのか、別にないんです
嘘やろ。
ないわけないでしょ???
でも
このクライアントさんの訴えは
私自身の心の訴えでもある。
ないわけない。
言いたいことも
ほしい結果も。
ないなんてことは
決してないんです。
絶対にある。
それを見えなくしているのは自分。
それを言えなくしているのも自分。
そうだ。
私が自分で見えなくしてしまっている真実はなんだろう?
私が
ほしいのに、求めることをやめてしまった結果はなんだろう?
そうやって自分に問いかけると
見えて来たもの。
私は夫と一緒にいる・いたいという希望、願望を
なかったことにしている。
そんなことに
気がついたのです。
このブログでは
折に触れお伝えしていますが、
私たちは別居婚です。
お互いにまだ子供にも手がかかるし
いろいろお互いの事情があるし。
そうやって
夫と関わることを
後回しにしている自分。
それが仕方のないことで
同時に
人と関わるわずらわしさや
めんどうくささを感じなくてよい
居心地のよさを
すでに堪能してしまっている自分。
そんなものが
私の幸せの正体だったなんて
なんて嘘っぱちなんだ!!
私はそう気がついた。
夫に好きと表現しなくなっている自分。
本当に好きだったか?どうなのか?ということも
自分に問いかけたり
夫に働きかけることで
自分の内面の変化を探索しなくなっている自分。
これって
幸せなのではなくて
ただの
やるべきこと(ホロスコープの7ハウス)を
さぼっている以外のなにものでもないよね?
私はただ単純に
怠惰なだけ。
チャレンジすることを諦めているだけ。
は〜〜〜〜〜〜。
それで幸せとか
人に幸せなあり方(パートナーシップ)を説くとか
よく言うわ。
自分で
そう感じました。
だからこそ
1日時間をかけて
夫と共にいることを
昨日あえてしたんです。
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大好きな夫なのに
一緒にいることを諦めてしまった原因はなんだろう?
一人が楽と思っている自分の
根本的な本音はなんだろう?
そうやって自分に問いかけると
知っていたのに
ほったらかしにしてきた自分の本音が出てきました。
(私は十分やっている。やってないのは相手。)
(働きかけるべきは相手。愛があるなら、私は大切にされるべき。)
この相手というのは
太陽星座であり
父親であり夫のこと。
ホロスコープの話をすると
私の太陽(私自身であり、父親・夫を意味する)は
究極や極限・極端を表す
冥王星としか角度を取っておらず
父親・夫との関わりは
究極・極限・0か100
こんな関わり方しかできないのです。
自分が意識して働きかけでもしなければ。
ときおり
太陽が他の天体と良好な角度を
たくさん持っている人を見かけると
私はとても羨ましくなります。
私には
その人たちが持っているであろう
甘さ。甘えることこ(金星)
穏やかさ。平和さ。安心(木星)
儀礼。きちんとした対応(土星)
躍動感(火星)
こういったものが
全くない。
ただのひとつもない。
(夫・父親との関係性において)
だから
それらをもし自分が必要と思うのなら
学び(後付け)によって
自分で体得しなければならないのです。
私は本当に
ホロスコープ通りに生きているな、と感じます。
なぜなら
たいていが一人(太陽のアスペクトのなさ)であり
それ以上、どうすることも
何があるのか?すらもわからないからです。
そしてそれは私の夫もそうです。
彼の月は荒れており(90°の角度を3つも持っている)
自己顕示(月獅子座)がうまく行かないことは
自分を認めてもらっていない
という
自己否定感につながる。
(夫を見ていると本当にそう感じます。)
それらのことで
私たちはよくぶつかりました。
(結婚1年目はそれらをお互いにぶつけ合いました。)
私が夫と積極的に関わらなくなったのも
そのような理由が非常に大きく
(なぜなら、心の負担がとても大きいから。)
▶️痛みを感じたくない
▶️ネガティヴになりたくない
このような無意識の抵抗は
夫に向かう心から
私を遠ざけました。
夫が嫌いというのではなく
痛みを感じたくない・学ぶのがめんどうくさいという
怠惰な状態
なのです。
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私は自分が本当に歳とったな〜と感じます。
歳とるというのは
動かなくなってくること。
行動範囲が狭まってくること。
でも
実年齢ではありません。
あなたがあなたの本当の心に嘘をついて
▶️別に今のままで幸せ
▶️これ以上ほしいものもないし、言いたいこともない
そんな風に思っているのなら
あなたがいくつであろうが
あなたはもう衰退の方向に向かっているのです。
(もう20代とかでもそういう方いますよ。私の研究によると、10代すぎるとそれが始まります。老化です、老化。心の老化。)
私は夫と関わることが怖いです。
怖いし面倒くさい。
そこには
二人して見ないようにしている
山積みの問題がたくさん横たわっていると
私自身が知っているからです。
だけど
私の人生のテーマであり
私の究極の幸せは
その山積みに残してある問題だと思えることを
一つひとつ開けて
クリアーにしていくしかない。
私のこの甘え下手で
一人好きで
怠惰なくせに
甘えたくて
一人ではいられない
寂しがりな
究極拗ねている自分を、
そう。
拗ねているんです。
この私の面倒を見て
願望達成してあげられるのは、そう。
誰でもない。
この、わたし、しかいない。
ここにこうして宣言をして
私は夫と向き合うこと
ひいては
自分自身と向き合うことを決断します。
なぜならそれが
私が生まれてきた意味であり
やるべき人生のテーマだから(太陽7ハウス)
あなたが見ないふりして
放置している自分はなんですか?
これくらいで幸せなんだと
言い聞かせていることはなんですか?
本当の本音の自分に向き合わないと
奇跡のような幸せなど
決してやってきません。
マッキー
自分の心に向き合い
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