※こちらの続きです
BAKURO(暴露)
https://ameblo.jp/makky0310/entry-12300729373.html
事件・・・①
https://ameblo.jp/makky0310/entry-12300791088.html
事件・・・②
https://ameblo.jp/makky0310/entry-12300845876.html
沖縄最終日は
完全フリーの1日でした。
さらにその次の日
割と早い便で秋田に戻る予定のため
那覇に前泊の予定日でした。
順ちゃんと念願の海に入れた
楽しかった思い出もあったとはいえ
私がすでにこのブログで前述した通り
何か胸の奥につかえが残るような
久しぶりの万座の日々は
そんな記憶の残る日々となりました。
夫の具合は
相変わらず思わしくありませんでした。
正直
車の後部座席に座っていることすら
辛そうな様子でした。
Back ache(バックエイク:背中の痛み)
と必死に訴えていた彼は
私たち日本人で言うなら
発熱前の関節の痛みに似た症状が
あったのかもしれません。
彼がほしがったのは唯一
痛み止めのお薬だったので
ドラッグストアーでなんとか鎮痛剤を購入し
それを彼に渡してあげることくらいしか
私には出来ることはありませんでした。
(ただしこの鎮痛剤、いわゆる日本製のバファ○ンですが、ものすごくよく効いたみたいで、飲んだ一瞬は機嫌がいつも通りに戻るのでした。)
最初こそ意気揚々と
万座のホテルを後にしましたが、
那覇市内に着く頃には
彼の機嫌も元の暗いものに
戻っていきました。
(完全薬が切れていたのでしょうね。)
またいつものことなのですが
那覇市内は渋滞がひどく
なかなか目的地である
那覇市内のホテルに
到着出来ませんでしたもの。
その日順ちゃんと私は
那覇市内の観光地を
回ることにしていました。
せっかくの最終日の沖縄
1日フリーなんだから
のんびりしたいと考えていたのです。
大きな目的は首里城
沖縄に行くのなら
知らない人はいませんよね。
けど訪ねることは
楽ではないんですよ。
何せ歩きますから・・
私は夫に
その予定であることを伝えました。
そして
天気が回復して暑いうえ
体調のすぐれないあなたが行くには
厳しいのではないか?という旨と伝えました。
更に言うなら私は彼に
ホテルへのアーリーチェックインを勧め
(別料金を払って、早めに部屋に通してもらうこと)
ホテルで休んでいることを勧めました。
それには及ばない
彼の答えはそうでした。
無理に進めるものでもなく
少し回復したかのように見える彼でしたので
私は彼の意向に従いました。
その後私と順ちゃんは
お天気の回復して暑くなった首里城へ・・・
夫は国際通りにあるホテル周辺へ・・・
別行動となったのです。
私は少し安心していました。
夫が行きたがっていた市街地
しかもここは
彼の母国語である英語も通じるではないか!
それに私には
体調の悪さなのか?
それとも
私と順ちゃんの
ついていけない日本語トークに
疲れたからなのか?
うすら機嫌の悪い夫に
少しうんざりしていました。
(アーリーチェックインの提案もきかないし・・・・)
そこで
やっと夫から解放され
順ちゃんと楽しい時間を過ごせる
唯一の時間が与えられた気がしたのです。
首里城は
多くの観光客で賑わっていました。
私が最後に訪れた
20代の社員旅行の時とは
あきらかに全体的に変化していた首里城。
見所も結構あって
順ちゃんと楽しく見学していたのですよ。
時々随所随所で見られる
沖縄独特の花々
私は来れなかった夫への
せめてもの気遣いと思い
それらの花の写真に撮って
彼に送ったりしました。
しかし
何分も時(とき)あけて
返ってくる夫の返信は・・・
(俺が)
いない場所の写真などみても仕方がない
そんなそっけなく
思いやりのかけらも感じられないものでした。
(いったい何にそんなに怒っているわけ?)
私は順ちゃんと二人で
ウキウキと過ごしていた時間に
重い鉛玉でも胸に落とされた
そんな気持ちがしました。
楽しかった最終日の那覇市内も
その前の日の万座と同じように
暗く
重たい空気が流れていました・・・・
仕方がない・・・
かたや夫は体調がすぐれず
身の置き所がないような心境なのだろう。
そうやって自分に言い聞かせることで
なんとかその場の嫌なムードを
やり過ごしました。
私まで機嫌を悪くして
一緒にいる順ちゃんを暗い気持ちにさせる
何ものもありませんから。
那覇市内の混雑(渋滞)は
思っていた以上に時間を浪費させ
戻ってきたお日様は
私たちの体力を奪いました。
そこで私と順ちゃんは
借りていたレンタカーを早めに返すことにし
ホテルで待つ夫の元に
早めに帰ることにしました。
(今考えると、順ちゃんもそんな私たち夫婦の雰囲気を察知して、気を使ってくれていたのかもしれません。)
やっとホテルに戻ると
ちょうどチェックインできる時間になっていました。
体調の悪さなのか?
それとも
一人置いて行かれたことへの不満さなのか
それともその双方だったのか・・・
夫の機嫌は
決してよいと言われるものではありません。
仕方がないし
他人の機嫌はその人しか直しようがないので
そんな夫を置いて順ちゃんと私は
ホテルの近くのレストランに
遅いランチをとりに行くことにしました。
(夫は誘いましたが、その前に何か食べた?か何かで、行かないという返事でした。)
私にとっては初めての国際通り商店街。
観光客は多めでしたが
別に取り立てて目新しいものもなく
食事が終わった後私は一人
商店街をぶらぶらしていました。
順ちゃんは事務仕事のため
お部屋に帰っていました。
寂しいな〜とは思いつつも
唯一空いた自分一人の時間。
ただぶらぶらと過ごすことで
夫とのことで張り詰めていた気持ちを
リラックスさせたかったのかもしれません。
ホテルの側に
平和通り商店街という
全く珍しくもなんともない
上野アメ横から観光客を除いただけみたいな
普通の商店街がありました。
沖縄の
どこに行ってでも売っていそうな
あまりにもありがちなお土産物を売る
これまた似たようなお店ばかり。
なんじゃこりゃ
と思いながらも
なんだか気分がよくて
その通りを奥まで歩いていきます。
なんか・・
この雰囲気。
占いとかありそうじゃね?
私はこのとおり
占いをなりわいの一部にしていますから
それが他のどんな占いであれ
占ってもらうことも大好きです。
このまま奥まで行ったら
占い屋さんがあるかも?
そんな淡い期待を胸に
ずんずん奥まで歩いて行きましたが
残念なことに
占いの文字を通りの最後まで
見ることはできませんでした。
ちぇ。つまんないな〜。
そう思って
ふと通りの横っちょに目をやると
なんとも興味深い看板が・・・・
そこに書かれたいた文字は・・
24歩小道・・
24歩・・こみち????
私は不思議に思って
しかし吸い寄せられるように
その細い路地に入っていきました。
その小路は文字通り
たった24歩で通過出来てしまうという
狭く細い通りだったのです。
そしてなんとついに!
私はそこで占いの文字を見つけました!!
やった!
あったぜ!!
と思ったのも束の間
その占いのお店は
門構えがとても立派で
大きな鉄製の入り口のドアには
一度入ったら出て戻ってくることを許さない雰囲気がありました。
いや〜
入ってみたら
きゃー!!
マッキーさん!!!
とか言われても困るし・・・・
(私のブログの読者様には、すでに占いされていらっしゃる方もたくさんいますので・・・)
束の間喜んだ私ですが
見てもらう考えはすぐに消しました。
いろいろめんどくさいことになったら
嫌だもん。
はてさて
24歩小道はその通り
24歩であっという間に
小路を抜けてしまいました。
あ〜あ。
結局占い師を見つけられなかった・・・・・
そんな残念な思いのまま
今来た道を戻ろうと思った時です。
ものすごい大音量で
沖縄の方言丸出しの
おばちゃんの声が耳に入ってきました。
言っていることの
半分も理解出来ないその言葉は
そのおばちゃんが間違いなく
地元の人である証でした。
その声の勢いにつられて
私は思わず振り返りました。
そこは・・・・
今通りすぎたであろう
24歩小道の終点である
角の一角。
そしてそこにはなんと
占い
の看板がまるで
冷やし中華始めました
の体(てい)で
ぶら下がっているではありませんか。
そしてその小路の角で目にしたのは
さっきの声の主
小太りなどという言葉は
すでにとおに通りこした体型の
女小錦みたいな
沖縄のおばちゃんの姿だったのです。
彼女と目があうと
まるで引き寄せられるように
彼女の
畳半畳ほどしかない占いのスペースに
私は入って行ってたのです。
(占い)
いいですか?
そうとだけ声をかけると
沖縄のおばちゃんはいぶかしげに私の顔をのぞき込み
あんた
本土の人?(的な沖縄の言葉で)
そう私に声をかけてきました。
はい。
そうとだけ言うと
いいよいいよ。
はいんなさい
そうやって
畳半畳ほどしかない小さいな小部屋の
これまた小さなテーブルに設置した
小さな椅子に通してくれました。
沖縄のおばちゃんは
とてもとても気さくな
お母さんみたいな女性でした。
入るなり
あんたその後ろ閉めてくれない?
(入り口はただのカーテンで仕切られているだけ、しかも半分だけ。下は丸見え。)
そう私に声をかけると
後ろのカーテンを閉めるよう
私に指示してきました。
いつもはおばちゃん
自分の席からほどんと立ち上がらないのでしょう。
なぜならおばちゃん。
この半畳ほどしかないスペースに
ほとんどを占領しそうなテーブルを置いており
一旦奥の自分の席に座ってしまうと
よっこいしょと立たない限り
出てこれないような狭いスペースに
座っていたからです。
片側のカーテンを
私が閉めていると
おばちゃんはいつもはきっと
そうしているのでしょう。
洗濯物干しの棒みたいなもので
もう半分のカーテンを閉めているところでした。
(なんだろう?このおばちゃん・・。なんだかウケる(^^) ってか、この雰囲気、なんてゆったりと落ち着いて、受け入れてる感、満載なのだろう?)
ドキドキしながらも
やっとカーテンを閉めて
自分の椅子に戻ると
(戻ると言っても、ちょっと立ち上がっただけですが。)
これまたどうやってこの狭いスペースにいれたか?と思うような
小さい冷蔵庫から
セブンアップでいいかい?
とおばちゃん
冷たい飲み物を私に出してくれました。
この間たった1、2分。
その間に私のテンションは
ここ数日夫といたことで
本当に暗く落ちていたのか?と思えるほど
ぐんぐんと上がっていきました。
なぜかこの出会いが
すごく特別で
愉快で面白みに溢れているものに
急に見えてきたのです。
私はおばちゃんに
このワクワク、にやにやした気持ちがバレないように
なるべく冷静沈着にふるまいました。
それで?
あんたの名前は?
どうやらおばちゃんの占いには
名前が必要なようです。
この紙に書いて。
それからあんたの住所とね。
おばちゃんが私に聞いたのは
たったそれだけでした。
私の占いみたいに
生年月日を詳細に聞いたり
生まれた時間を聞いたりは
一切ありませんでした。
おばちゃんたったそれだけを
私から聞き出したかと思ったら
おもむろにこれまた小さいテーブルの上においてある
とても純度の高そうな水晶に向かって手をかざし
なにやら唱え始めました。
私は神妙なおももちで
ただ静かにその様子をみていました。
あ〜
あんたはあれだね。
長男と長女の娘の子供で
これまたあんたのお父さんもお母さんも
兄弟の一番上だろう?
あんたはな。
沖縄にいたらユタ(沖縄の霊媒師)になる人だよ。
あ、名乗るの遅くなったけど
私はね。
ユタなんだよ。
(えーーーーーー!!! ←私、心の声)
あんたは運がいいね。
あたしは今日の午前中はここにいなかったんだよ。
ユタの卵を育てる仕事をしてるんだ。
今は22名のユタを育てているんだよ。
だからみてみな。
ここの店の名前は
金玉占いというんだ。
金の玉(たまご)を育てるという意味なんだよ。
沖縄のおばちゃん
もとい
ユタさんは
そんな自分の話を交えながら
私のことゆっくりと霊視し始めました。
それにしても
なんで私の両親のことまで
そんなにわかったんだろう?
それからユタは
私の家族構成について聞き始めました。
ユタ:
あんた子供は?
そう。
上の二人は1番目の夫の子供ね。
それで?
3番目の子供は
2番目の夫の子供ってわけね。
じゃああんたの旦那さんは
この2番目の子供のお父さんってこと?
(ゲッ)
内心ここで私は
ゲッと思いました。
もしやこれは
私が4度もの結婚歴があることを
暴露しなければいけないパターンか?
内心そう思い
ギクッとしながらも
ユタの質問に素直に答えました。
ユタ:
え?そうじゃないの?
じゃああんたは今一人なの?
え?その後に再婚したの?
じゃあその人が今の旦那さん?
やはり・・・・
これは最後まで喋らなければいけないパターンね・・・
私:
いいえ。
私の今の夫は
この3番目のアメリカ人の後に結婚した
シンガーポール人です。
今回の沖縄にも一緒に来ています。
ユタ:
じゃああんたは
4回結婚したってこと?
4回目の夫が
今の人ってわけね。
私:
はい・・そうです・・・・
(やっぱりこのパターン・・・)
ユタ:
あーあんたね。
この4番目の旦那、ダメだよ。
悪い人じゃないんだけどね。
あんたの最後の人じゃない。
あんた
5回結婚するよ。
・・・・・・
へっ?
( ゚ ▽ ゚ ;)
(第5話 迎える崩壊・・に続く・・)
マッキー